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記憶術が欧米で大流行した19世紀
ファイネーグがフランスやイギリスで記憶術講座を開き、ヨーロッパの各地を旅行しながら記憶術を教えたため、19世紀には記憶術が欧米で大流行します。
またファイネーグの後には、同じような記憶術専門家が続々と現れます。
ベニウィスキィ
たとえば1840年のロンドンには、18の言語を話せたというポーランド人のベニウィスキィ(Beniowsky)が記憶術の専門家として登場します。
ベニウィスキィの記憶術もファイネーグの記憶術と同じです。
フランシス・フォーベル・グーロー
またアメリカでは、1845年にフランシス・フォーベル・グーロー(1808~1847)が「記憶技術の精神」という本を著し、アメリカで記憶術を広めます。
フランシス・フォーベル・グーローは記憶術で大変な記憶が可能であることを、ニューヨークにおいて多くの人の前での公開実験を行い、数千もの記憶が可能であることを証明しました。
フランシス・フォーベル・グーローの方法はアーネスト・ウッドが引き続き、研究もされました。
カール・オットー・レーベントロー
またコペンハーゲン大学で研究をしていたカール・オットー・レーベントロー(Karl Otto Reventlow)もアメリカで活躍した当時の記憶術専門家でした。彼は「アメリカの記憶技術精神」という本を書き著します。
ベン・プリデモア
ベン・プリデモア(Ben Pridmore)は、こうしたファイネーグ系の変換式記憶術をさらに改良し、バリエーションの多い記憶術としました。
記憶術の専門家が続々登場する19世紀
19世紀には、他にも数多くの記憶術専門家が登場します。たとえば、
- 1845年、ウィリアム・デイ(William Day)
- 1852年、ヘルマン・コーセ(Hermann Kothe)
- 1866年、リヨン・ウィリアムズ
- 1866年、T・マクラーレン
- 1867年、トーマス・A・セイヤー
- 1869年、牧師アレクサンダーマッケイ
- 1870年、ジョージ・クラウザー
- 1880年、F・アップルビー
- 1885年、ヒューゴ・ウェイバー(Hugo Weber)
- 1890年、エドワード・ピッグ博士(Edward Pick)
- 1890年、フェアチャイルド(Fairchild)、ストークス(W.Stokes)、JHベーコン(JH.Bacon)
- 1896年、スミス・ワトソン
学識のある知識人らが記憶術の本を次々に出版します。
世界中に広がる記憶術
19世紀に入ってから記憶術は、専門家講師らの手によって宣伝もされ、世界中に広まっていきます。
記憶術はギリシアで発明され、後にローマ時代はイタリアで弁論術として広まります。
その後中世からはスコラ哲学で活かされて、ルネサンスの時代にはヘルメス主義などの隠秘哲学で使用されるようになるものの、15世紀にペトゥルスが成功術として公開。
これ以降は、17世紀はドイツで広まります。18世紀にはフランスとイギリスで公開。そしてアメリカと伝播し、記憶術は世界中に広まっていきます。
日本でも明治時代(19世紀)に記憶術が大ブーム
日本でも19世紀の明治時代、記憶術が大ブームになります。
明治12年(1879年)~明治40年(1907年)の間、特に明治20年代(1887年以降)だけでも、記憶術本が16冊ほど多くが出版され一大ブームが巻き起こっています。
この頃は丁度19世紀で、ヨーロッパやアメリカでも記憶術本が数多く出版されていた時代です。
現代の記憶術も、基本的に19世紀に普及した記憶術を元にしているものも少なくありません。
もっとも現代の記憶術は、19世紀当時の方法とは多少違っているところもあります。記憶術は進化し改良された現代の記憶術のほうがおすすめだったりします。