グレガー・ファイネーグ~記憶術をビジネスにした元祖【19世紀初期】

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ファイネーグの記憶術

グレガー・ファイネーグ(Feinaigle)(1768年~1819)は、ドイツの記憶術専門家であると同時に、ローマカトリック教会の修道士でした。

記憶術の使い手にキリスト教の修道士が多いのは、スコラ哲学時代からの影響ですね。

記憶術がスコラ哲学・学問に使われた中世【11~15世紀】

修道士だったファイネーグは、ウィンケルマンが考案した「変換法記憶術」を発展させます。

記憶術を商売に使ったファイネーグ

さらにファイネーグは、記憶術をビジネスにして世間に広めます。

ファイネーグによる「記憶術ビジネス」の影響により、19世紀になると、大学教授や修道士を筆頭に知識人達が記憶術専門家となって、欧米に記憶術を広く普及させます。

大学教授らの記憶術専門家の増加と欧米での流行【19世紀】

変換法記憶術は、ウィンケルマンの登場によって「数字変換記憶術」が世の中に広まります。その後、リチャード・グレーも同じやり方を踏襲して「文字変換記憶術」を考案して記憶術を広めます。

ウィンケルマン【ドイツ】は数字を覚える記憶術を発明【17世紀】 リチャード・グレー【イギリス】文字変換法記憶術の創始者【18世紀】

この系列に登場するのがグレガー・ファイネーグということなんですが、今言ったように、ファイネーグがは記憶術を商売(ビジネス)にしながら世間に広めていくようになります。

フランスで記憶術講座を始める

ファイネーグの「記憶術専門家」としての活躍は、1806年からはじまります。彼は、フランスのパリで記憶術の講座を始めます。

しかしファイネーグは当時、批判されたりあざ笑われることがありました。

記憶術は、ドイツやイタリアでは知られていました。が、フランスではまだ知られていなかったからのようです。当時のフランスでは、まだ記憶術への理解が乏しかったようです。

けれども1807年に、ファイネーグの弟子らが12名が、2000人の観衆の前で記憶術の公開実演(デモンストレーション)を行います。で、これに成功。ようやくフランスでも記憶術に対する信頼性が出るようになります。

ファイネーグにより記憶術がヨーロッパに広がる

ファイネーグは、1811年にはイギリス・ロンドンに渡り、記憶術の講座を開きます。ファイネーグは講座の代金を徴収していたため、記憶術をビジネスとした専門家でもありました。

同年の1811年には「記憶する新しい技術」という本を出版します。

書の内容としてはウィンケルマンやリチャード・グレーの変換記憶術とほぼ同じです。

変換法記憶術~変換・分解・置換・外連想の4つのテクニックからなる方法 数字変換法記憶術~歴史年号・パスワード・生年月日など数字の暗記に最適

が、キケロやクィンティリアヌスが説いた「記憶の宮殿」を利用した古典的記憶術も含まれています。いわば現代の「総合記憶術システム」に近いものとなっていました。

ファイネーグはフランス、イギリスといった、まだ記憶術が浸透していなかったヨーロッパの主な地域で記憶術を広めています。

記憶術をビジネス化したファイネーグ

ファイネーグの活動により、次第にヨーロッパ中に記憶術が知られて広まっていきます。

記憶術の認知の広がりと、その効果が大衆の間でも周知されてくると、ファイネーグの活動に変化が出てきます。

ファイネーグはロンドンに渡った頃から、記憶術を「秘密の技術」とするようになります。また一般公開を避けるようになります。

ファイネーグは、記憶術を「秘伝商法」としたのでしょう。秘伝商法にしますと、高額で販売したり伝授することができます。ビジネスの観点からいえば、記憶術を秘匿情報としたほうがいいんでしょうね。

ファイネーグが活躍した18世紀19世紀から「記憶術の秘密化」「記憶術講座の高額化」となって「記憶術のビジネス化」「商品化」というのが一般的になり、この風潮は21世紀になっても引き継がれていくようになります。

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