グレガー・ファイネーグは記憶術をヨーロッパ中に広めた【19世紀初期】

ファイネーグの記憶術

変換法記憶術は、ウィンケルマンの登場によって世の中に広まります。

その後、リチャード・グレーも同じ方法を踏襲して変換法記憶術を広めます。

が、さらにこの流れの系列に登場するのがドイツ人の修道士であったグレガー・ファイネーグ(Feinaigle)です(1765年~1819年)。

グレガー・ファイネーグはドイツの記憶術専門家であると同時に、ローマカトリック教会の修道士でした。

フランスで記憶術講座を始める

ファイネーグの記憶術専門家としての活躍は、1806年からはじまります。彼は、フランスのパリで記憶術の講座を始めます。

しかしファイネーグは当時、批判されたりあざ笑われることがありました。

記憶術はドイツやイタリアでは知られていましたが、フランスではまだ知られていなかったからのようです。当時のフランスではまだ記憶術への理解が乏しかったようです。

けれども1807年に、2000人の観衆の前で、ファイネーグの弟子らが12名が、記憶術の公開実験を行います。で、これに成功。ようやくフランスでも記憶術に対する信頼性と信憑性が出るようになったそうです。

ファイネーグにより記憶術がヨーロッパ全土に広がる

ファイネーグは、1811年にはイギリス・ロンドンに渡り、記憶術の講座を開きます。ファイネーグは講座の代金を徴収していたため、記憶術をビジネスとした専門家でもありました。

同年の1811年には「記憶する新しい技術」といった記憶術の本を出版します。

書の内容としてはウィンケルマンやリチャード・グレーの変換記憶術とほぼ同じです。

が、キケロやクィンティリアヌスが説いたイメージと場を利用した古典的記憶術も含まれています。いわば現代の記憶術総合システムに近いものとなっていました。

ファイネーグはフランス、イギリスといった、まだ記憶術が浸透していなかったヨーロッパの主な地域で、記憶術を広めています。

記憶術をビジネス化したファイネーグ

ファイネーグの活動により、次第にヨーロッパ中に記憶術が知られて広まっていきます。

記憶術の認知の広がりと、その効果と関係してでしょうか、ロンドンに渡った頃からファイネーグは、記憶術を秘密の技術とするようになり、一般公開を避けるようになったようです。

記憶術を「秘伝商法」としたのでしょうね。秘伝商法にしますと、高額で販売したり伝授することができます。ビジネスの観点からいえば、記憶術を秘匿情報としたほうがいいんでしょうね。

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