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ジュリオ・カミッロの「記憶の劇場」
記憶術は古代ギリシアの弁論術での使用を経て、中世ではスコラ哲学の中で宗教倫理の記憶や伝承に使われましたが、ルネサンスに入ってから再び用途に変化が出てきました。
その変遷の一つが、ヘルメス主義や新プラトン主義といわれる、いわゆる「魔術」「オカルティズム」「神秘学」の世界での使用です。記憶術をオカルトの世界といったサブカルチャーで使用しはじめた一人がジュリオ・カミッロです。
カミッロは15世紀の後半(1480年)にイタリアに生まれます。彼は16世紀の前半に「記憶の劇場」と呼ばれた木造の円形劇場をベネチアに作ります。後にフランスでも同様の木造の劇場を作ります。
カミッロが建てた「記憶の劇場」は、キケロの記憶術を取り入れながら、なおかつヘルメス主義や新プラトン主義といったオカルト的思想を元にした建造物でした。
「記憶の劇場」でオカルトの要点暗記
カミッロは、劇場を「記憶の場」としながらも、オカルトの要点を暗記できるように記憶術と連動させていたといいます。
カミッロの「記憶の劇場」は、
・7つの柱
・7つの門
・7つの通路
・7つの観覧席
からなる構成を取っています。
「記憶の劇場」は、太陽を中心に据えて、
・神が住む超天上界
・惑星からなる中天上界
・地上としての四大世界
といったカバラの世界観を包括しています。
記憶術をカバラ・ヘルメス主義・新プラトン主義で使用
ルネサンス期には隠秘哲学も登場しますが、カミッロはこうしたオカルト的な世界に傾倒し、なおかつオカルト教義を記憶するための「曼陀羅的劇場」を作りました。この劇場は、
・カバラ・・・ユダヤ秘教学、ヘブライイ神秘学
・ヘルメス主義・・・魔術、占星術、錬金術、自然哲学
・新プラトン主義・・・一者・イデア(創造主)を説く神秘学
といったような特殊かつ独特なオカルト。魔術の世界観を表し、なおかつこの中で記憶術を使っています。
しかしながら記憶術の方法としては、キケロらの古典的記憶術になります。
キケロの記憶術【ローマ時代 BC100年頃】
ルネサンス以前の記憶術といえばスコラ哲学的な方法です。ある意味、カミッロは古典的記憶術に戻ったともいえます。
隠秘哲学で使用された古典的記憶術
しかしこうしてオカルティズムの世界で記憶術が使われるようになったというのが、記憶術の歴史にはあるということになります。
こうしたルネサンス期にはオカルティズムの世界、隠秘哲学の世界で記憶術が取り込まれるようになりましたが、これはとりもなおさず、印刷化したくない知識の伝承、あるいは、心に焼き付ける方法として記憶術が使用された証でもあります。
このことはつまり、印刷しないで伝承していたスコラ哲学的記憶術と動機は同じです。
こうした隠秘哲学における伝承と暗記の方法として記憶術を使い出したのは、カミッロの他に、次のような人達もいました。
ラモン・ルル(1235年~1316年)
著書、「小さき術」「大いなる術」
覚えたいことの頭文字を利用した頭文字法的な記憶術を使用。
「ルルの輪」とも呼ばれる記憶術を生み出す。※ラモン・ルルの詳しいことはこちら
ジョルダーノ・ブルーノ(1548年~1600年)
著書、「イデアの影」「キケルの歌」「記憶の術」「三十の像の燈」。
メトロドロスのように天宮図を使用し、なおかつ360度に分割した天宮図を「記憶の場」として使用。
ブルーノは、どんな単語や言葉も、一つのイメージに置き換えることのできる独自の変換法「記憶の輪」を作り出します。これは「ルルの輪」を応用した変換記憶術でした。
ロバート・フラッド(1547年~1637年)
著書、「記憶術体系」。
記憶の場として架空の「記憶の劇場」という舞台を設ける。
こうした人々もいました。
オカルト・魔術と結びつく記憶術
この時代、カミッロを筆頭に場所法を深め、またラモン・ルルの「ルルの輪」や、ジョルダーノ・ブルーノの「記憶の輪」は目を見張るものの、記憶術はオカルティズムの世界で使用されていました。
これらのものは記憶術そのものというよりも、隠秘哲学に記憶術を導入していたというものであって、ほとんど特殊な世界になります。
非日常的過ぎる思想や世界観であり、記憶術の方法も古典的な記憶術の踏襲です。
しかしオカルトや魔術といったサブカルチャーの世界であっても、覚えたいことをしっかりと暗記する方法として記憶術を活用していたことは、現代でも同じで、「しっかりと記憶したいことは記憶術を使用するのが良い」という証でもあります。
もっとも非日常的過ぎる世界で記憶術を使用するよりも、実生活に活用したほうが有益でありましょう。
そういう意味においても現代の学校の受験や資格試験、その他、即効的に覚えたいシーンで活用できる「現代の記憶術」のほうが何倍も優れていますし、実用性もあり、健全であります。