大学教授らの記憶術専門家の増加と欧米での流行【19世紀】

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大学教授らによる記憶術専門家が多くなった19世紀

ドイツの修道士だったファイネーグがフランスやイギリスで記憶術講座を開き、ヨーロッパの各地を旅行しながら記憶術を教えたため、19世紀になってから記憶術が欧米で大流行します。

また、大学の教授を筆頭とした知識人達が記憶術専門家となって増加し、彼らの手によって記憶術が普及していくようになります。

19世紀に広まった記憶術は、ファイネーグがまとめた記憶術と同じタイプの記憶術でした。つまり、

といった内容からなる記憶術であり、現在使われている記憶術の原型は19世紀に遡ることができるということになります。

そんなきら星のごときの19世紀の記憶術専門家は、以下のように多く出てきています。

エメ・パリ

たとえばフランス人エメ・パリ(Aime Paris:1798~1866) は、ウィンケルマンやファイネーグの記憶術を修正し発展させています。

エメ・パリの記憶術は「数字を覚える記憶術」として現代でも使用されています。

ちなみにエメ・パリは、フランスのアテネ・フランス学院の大学教授でした。数学と法律を専門とし、後に弁護士にもなっています。

エメ・パリは記憶術を考案しただけでなはく、速記法も開発しています。

エメ・パリの記憶術は当時よく知られ、彼は「記憶術教授」の異名も取っていたようです。

ちなみに現代でも、記憶術を使って弁護士になった「ワタナベ式記憶術」を考案した渡辺剛彰氏がいますが、記憶術で資格を取得することは、18世紀から見られることは興味深いものがあります。

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また大学の教授が記憶術を考案し、使用し、普及もしていたことも興味深いですね。

記憶術がいかがわしいものと思われる向きもありますが、これが完全な誤りであることは、歴史的にみてもわかります

記憶術は、アカデミックとの相性が良いことは、中世のキリスト教修道士の歴史をみても明らかです。

ベニウィスキィ

1840年のロンドンには、18の言語を話せたというポーランド人移民のベニウィスキィ(Beniowsky:1800~1867)が記憶術の専門家として登場します。

ちなみにベニウィスキィは、本職は軍人で、皇帝の臣下にもなった「少佐」だったようです。知識人であって大学にも進学しています。

当時のイギリスでは、チャーティスト運動が盛んで、ベニウィスキィも普通選挙の実現と社会変革を成し遂げようとする「急進派知識人」の一人だったようです。

そんなインテリのベニウィスキィでしたが、記憶術にも精通していたということですね。

ちなみにベニウィスキィの記憶術はファイネーグの記憶術と同じになります。つまり、「数字を覚えるための記憶術」ということです。

ベニウィスキィは「非現実的または表現的な英語の発音と正書法辞典(The Anti-Absurd or Phrenotypic English Pronouncing and Orthographical Dictionary)」という記憶術本を出版しています。

フランシス・フォーベル・グーロー

アメリカでは、1845年にフランシス・フォーベル・グーロー(François Fauvel Gouraud:1808~1847)が「記憶技術の精神(Phreno Mnemotechny)」という本を著し、アメリカで記憶術を広めます。

フランシス・フォーベル・グーローは、フランスの専門家であり写真家、また記憶術の専門家でもあります。

フランシス・フォーベル・グーローの記憶術は、「数字を覚える記憶術」の系列であり、ウィンケルマン、リチャード・グレー、ファイネーグの系統になります。

フランシス・フォーベル・グーローは、記憶術で膨大な記憶が可能であることを、ニューヨークにおいて多くの人の前での公開実験を行い、数千もの記憶が可能であることを証明しています。

フランシス・フォーベル・グーローの方法はアーネスト・ウッドが引き受けて研究もされます。

カール・オットー・レーベントロー

デンマークコペンハーゲン大学で文献学の研究をしていたカール・オットー・レーベントロー(Karl Otto Reventlow:1817~1873)は、アメリカで活躍した記憶術専門家でした。

カール・オットー・レーベントローは、置換法テクニックに長けていたようです。

カール・オットー・レーベントローは「アメリカの記憶技術精神」という本を書き著します。

またカール・オットー・レーベントローは、学校で教わる3000項目の歴史と地理を、記憶術を使って覚えるためのマニュアルを考案しています。

現代における「学校受験や資格試験」に記憶術を使って覚えることの先駆けのようなことをしていますね。

いつの時代においても、記憶術は知識を覚えるための実用的なテクニックであることがわかります。

アーネスト・ウッド

ちなみに20世紀になっても、ウィンケルマン、リチャード・グレー、ファイネーグらの「変換記憶術」を取り入れた記憶術が盛んになります。

アーネスト・ウッド(Ernest Wood:1883~1965)は、イギリス人で、インドのヨーガや仏教に興味を持つ神智学者であり、サンスクリット語学者

ヨーガや瞑想に関する著書も多いのですが、記憶術にも造詣が深かったようです。

アーネスト・ウッドは、フランシス・フォーベル・グーローの記憶術を元にして、独自の記憶術を考案しています。

彼は1936 年に「心と記憶のトレーニング(Mind And Memory Training)」を出版しています。この著書は、現在でも入手することができます(Amazonでも販売しています)。

アーネスト・ウッドは、神智学に興味があったようで、中世の新プラトン主義、ヘルメス主義者らが記憶術を使っていたことを彷彿とさせ、記憶術がスピリチュアルと親和性があることを示唆する事例にもなると思います。

ハリー・ロレイン

ハリー・ロレイン(Harry Lorayne:1926~2023)は、アメリカの記憶術専門家でありマジシャン、作家といった多彩な人です。

ハリー・ロレインは、ファイネーグらがまとめた変換記憶術を含む記憶術を整理し完成させて、20世紀における代表的な記憶術家にもなっています。

ハリー・ロレインは、数字とアルファベットによる変換記憶術を考案しています。特徴的なのは、たとえば数字の「6」は、アルファベットの「b」に似ていることを利用して、変換表を作成し、独自のペグ法としている点です。

ハリー・ロレインの記憶術は「象形記憶術」とでもいってよいユニークな記憶術です。

ハリー・ロレインのテクニックは、現在でも使用され、記憶力世界選手権に出場する選手も取り入れているようです。事実、ハリー・ロレインは、アメリカのタイム誌から「世界随一の記憶力トレーニングのスペシャリスト」とも称されています。

また記憶術を使ったパフォーマンスでは、驚異的な記憶力を見せつけ、数多くのテレビ番組にも出演しています。さらに、1974年に出版した著書「The Memory Book」は、ベストセラーになっています。

現代記憶術家の中でも著名なのが、ハリー・ロレインです。

記憶術の専門家が続々登場する19世紀

19世紀(1800年代)には、きら星のごとく多くの記憶術家が登場しています。が、上記の他にも多くの記憶術専門家が登場しています。たとえば、

  • 1845年、ウィリアム・デイ(William Day)
  • 1852年、ヘルマン・コーセ(Hermann Kothe)
  • 1866年、リヨン・ウィリアムズ
  • 1866年、T・マクラーレン
  • 1867年、トーマス・A・セイヤー
  • 1869年、牧師アレクサンダーマッケイ
  • 1870年、ジョージ・クラウザー
  • 1880年、F・アップルビー
  • 1885年、ヒューゴ・ウェイバー(Hugo Weber)
  • 1890年、エドワード・ピッグ博士(Edward Pick)
  • 1890年、フェアチャイルド(Fairchild)、ストークス(W.Stokes)、JHベーコン(JH.Bacon)
  • 1896年、スミス・ワトソン

ほとんどが大学の教授知識人であり、記憶術が知的レベルの高い人達によって研究され、愛好されていたことがわかります。

またこのような学識のある知識人らが記憶術の本を次々に出版していました。

記憶術は欧米で大流行

19世紀に入ってから記憶術は、専門家講師らの手によって宣伝もされ、世界中に広まっていきます。

記憶術はギリシアで発明され、後にローマ時代はイタリアで弁論術として広まります。

その後中世からはスコラ哲学で活かされて、ルネサンスの時代にはヘルメス主義などの隠秘哲学で使用されるようになるものの、15世紀にペトゥルスが成功術として公開。

これ以降は、17世紀はドイツで広まります。18世紀にはフランスとイギリスで公開。そしてアメリカと伝播し、記憶術は世界中に広まっていきます。

日本でも明治時代(19世紀)に記憶術が大ブーム

日本でも19世紀の明治時代、記憶術が大ブームになります。当時の日本では、

らが著名です。大学の教授でもあった井上円了は別にして、明治期の記憶術専門家は誇大宣伝も行い、玉石混交の感は否めないものでした。

記憶術は真っ当な記憶のテクニックなのですが、胡散臭く感じられるのは、日本に記憶術が導入された初期の頃の影響があるようにも思います。

つまり、記憶術をしっかりと身につけないまま、記憶術で商売をしようとした輩が多かったことが、記憶術への疑いと胡散臭さを醸成したものとみなしています。

昔の雑誌にあった記憶術の広告とは?

ちなみに明治12年(1879年)~明治40年(1907年)の間、特に明治20年代(1887年以降)だけでも、記憶術本が16冊ほど出版され、記憶術の一大ブームが巻き起こっています。

この頃は丁度19世紀で、ヨーロッパやアメリカでも記憶術本が数多く出版されていた時代です。

現代の記憶術も、基本的に19世紀に普及した記憶術を元にしているものも少なくありません。

もっとも現代の記憶術は、19世紀当時の方法とは多少違っているところもあります。記憶術は進化し改良された現代の記憶術のほうがおすすめだったりします。

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